2008年4月。22歳。
僕はタツノコプロを辞め、フランスのアニメ会社「ANKAMA JAPAN」の扉を叩いた。
「初期メンバーなら、後々美味しい思いができるんじゃないか?」
そんなヨコシマな野望と、新しい技術への渇望。
ここから始まる4年間は、僕のアニメーター人生で最も刺激的で、最も不安定な日々となった。
月給22万円の衝撃
日本の動画マン時代とは別世界だった。
「寝てても金が入るってマジか…」
仕事がなくて無収入、なんて恐怖とは無縁の生活。
身長180cmの僕が小さく見えるほどデカいフランス人たちに囲まれ、ビビりながらも僕の「外資系ライフ」は始まった。
「ふぇにょん」の誕生
言葉は通じなくても、エロとアニメに国境はない。
「Ça va?(元気?)」から始まり、汚いスラングまで教え合う仲になった。
彼らの仕事に対する姿勢はドライで、でも温かかった。
陰口を言わず、「良いものは良い、悪いものは悪い」とはっきり言う。
日本の業界でひん曲がっていた僕の心は、彼らの陽気さに救われた。
FLASHアニメーターへの転身
最初は2Dアニメーターとして入ったが、途中でFLASHに転向した。
これが運命の分かれ道だった。
「アニメは際限のない競争だけど、FLASHならその競争から抜け出せる」
先輩のその言葉通り、僕はFLASH技術を習得し、本社(フランス)の仕事も手伝えるレベルになった。
この技術があったからこそ、後のリストラ第一波を生き残ることになる。
3.11、そして崩壊の序曲
2011年3月11日。
フランス語レッスンの最中に、あの揺れは来た。
原発事故を受け、フランス本社は自国民に帰国命令を出した。
「明日帰るけど、君も来るか?」と聞かれたが、家族を置いて行けるわけがない。
日本人の同僚の中には、家族を置いてフランスへ逃げた者もいた(もちろん、僕の「信用できないリスト」入りだ)。
その後、会社は徐々に崩壊へと向かう。
頼れる仲間たちが帰国し、日本人だけになった社内は、かつての日本のスタジオのような陰湿な空気に戻ってしまった。
ANKAMA終了、ふぇにょん始動
2013年10月。
ついにその時は来た。
「会社のお荷物」であるFLASHアニメーター(僕)、解雇。
その翌年、ANKAMA JAPANも解散。
僕の4年間のサラリーマン生活は、あっけなく幕を閉じた。
この4年間で得たもの
会社は守ってくれない。給料を勝手に下げられることもある。
自分の身は自分で守るしかないと骨の髄まで理解した。
日本の現場では学べないFLASH技術、外国人とのコミュニケーション。
これらは今の僕の強力な武器になっている。
「なまけもの」上等。
効率よく、楽しく、自由に生きるための勲章だ。
エピローグ:選ばなかった道
ANKAMA解散後、日本のアニメーションスタジオ「サイエンスSARU」の立ち上げ時に、直接声をかけてもらったことがある。
サイエンスSARUといえば、湯浅政明監督率いる世界的スタジオ。
ANKAMAで共に働いたウニョンさんや、精鋭たちがそこにはいた。
「一緒にアニメを作ろう」
光栄な誘いだった。
でも、僕は丁重にお断りした。
「もうアニメ会社には勤めたくない。自分の力で生きていく」と決めていたから。
その後、このサイト経由でサイエンスSARU様から仕事の依頼が来たとき、不思議な縁を感じた。
あの時、誘いに乗っていたら今の「ふぇにょん」はいなかっただろう。
僕が選んだ「フリーランス」という道は、間違っていなかったと胸を張って言える。
ありがとう、ANKAMA。
そしてさようなら、サラリーマンの僕。
ここから、フリーランス「ふぇにょん」の快進撃が始まる。
ふぇにょん
