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「名前のない仕事」を15年やった結果

2026 3/24

40歳になった。

15年間、ひたすら描いてきた。
誰もが知っている作品の、名前の出ないポジションで。

名前は出ない。クレジットもない。
でも自分が描いたカードが何万円で取引され、子どもたちの宝物になっている。
それだけが、自分の価値を証明してくれていた。

目次

動画200円の時代

最初のキャリアはアニメーターだった。
動画1枚200円。月収は雀の涙。
描いても描いても生活は楽にならなかった。

「仕事があるだけありがたい」
そう思って、どんな条件でも受けた。
安い単価でも、理不尽な工程でも、体が壊れそうでも。

あの頃の自分は、マウントを取られても何も言えない弱い人間だった。

鳥山明という巨人の背中

フリーランスに転身してから、鳥山明先生のタッチを再現する仕事に没頭した。
13年以上、毎日のように先生の線を追いかけた。

初期の頃、Z時代、GT、超——それぞれの時代で絵柄は違う。
その全てを描き分けられるようになるまで、途方もない時間がかかった。

ある時、業界の重鎮に言われた。
「鳥山さんの絵と言われなければ区別がつかない」
その一言で、自分がやってきたことは間違いじゃなかったと思えた。

でも同時に、天井を見た気がした。
これ以上登る場所がない。
先生の絵を守る使命は、果たしたのかもしれない。

「代わりがいない」という呪い

「代わりがいない」と言われたことがある。

嬉しかった。でも、その言葉の裏で何が起きていたか。

週に2回、鍼に通っていた。1回3時間。
それでも体の維持が精一杯で、回復には程遠かった。
常に数十枚のイラストを抱え、監修の返事を待ちながら次の仕上げに取りかかる。
休日はなく、寝る前にはいつも「もし明日目覚めなかったら」と考えていた。

描ける人間が自分しかいないから、全部回ってくる。
断れない。代わりがいない。
「代わりがいない」は、褒め言葉であると同時に呪いだった。

声を上げた日

僕は取引先に伝えた。

「今後はラフだけにさせてほしい」

ラフというのは、イラストの設計図にあたる工程だ。
構図、ポーズ、表情、色の方向性——作品の核となる部分を全て決める。
そこから先の仕上げ作業を、他の人に任せたいという提案だった。

15年間、一度もこんなことを言ったことはなかった。
言えなかった、が正しい。

でも今回は違った。
体がボロボロだという事実。
このまま続けたらプッツリいくかもしれないというリスク。
そして何より、「もう我慢しなくていい」という確信。

怖いものがなくなった理由

20代の頃の自分は、仕事を失うことが怖かった。
断ったら次がないかもしれない。
条件を出したら切られるかもしれない。
だから全部受けた。全部やった。あらゆる作品を。

30代で状況が変わった。
がむしゃらに描き続けた結果、スキルが積み上がった。
同時に、資産も積み上がった。
「最悪やめても困らない」という状態を、自分の手で作った。

スキルと経済的自由。
この二つが揃った時、交渉のテーブルで初めて対等に座れるようになった。
「お願い」ではなく「こうします」と言えるようになった。

断ることで格が上がる。
それを体感として理解できたのが、30代後半の最大の収穫だったと思う。

名前の出ない仕事と、名前の出る仕事

15年間、僕の名前はほとんど表に出なかった。
何百、何千、何万枚と寿命を削って描いてきたグッズに、僕の名前は載っていない。

それでも、届く人には届いていた。
名前がどこにも書かれていないのに、絵柄だけで自分の仕事を見分けてくれる人がいると知った。
嬉しかった。そして同時に、少し悔しかった。

でもある時、あるゲームのアートワーク集に個人名義でクレジットされた。
自分の名前が印刷された本を手に取った時の感覚は、今でも忘れられない。

名前が出ない場所でどれだけ頑張っても、積み上がらないものがある。
これからは、名前が出る場所に時間を集中させたい。
自分の名前がつく作品を、自分の意思で作りたい。

40歳からのルール

これからの仕事は、3つの基準で選ぶことにした。

1. 負担がないこと
ラフだけ。監修待ちで仕上げて待つ、あの地獄のような工程はもうやらない。

2. 楽しいこと
愛がある作品だけ、最後まで手を入れる。義務感で描く絵はもう描かない。

3. 敬意があること
描いた人間への敬意が感じられない関係は、もう受け入れない。

恩は返した

15年間で何万枚も描いた。
業界の底辺から始めて、誰もが認めるクオリティを一人で支え続けた。
育ててもらった恩がある場所には、十分すぎるほど返した。

もう、恩義で自分を縛る必要はない。

これからの人生

40歳。体脂肪率は一桁台。毎朝走って、鍛えて、ミニマルに暮らしている。
隣には、自分の仕事ではなく人柄に惹かれてくれたパートナーがいる。

健康寿命が終わる前に、やりたいことを全部やる。
自分の名前で作品を出す。
好きな仕事だけを、好きなペースで。
大切な人との時間を最優先にする。

15年前の自分に言えることがあるとすれば、こうだ。

「お前がいま耐えてるその時間は、無駄じゃない。
でも、耐えることが目的になったら終わりだ。
声を上げろ。条件を出せ。断れ。
お前の価値は、お前が思っているよりずっと高い」

おわりに

40歳は終わりじゃない。

渋沢栄一に言わせればハナタレ小僧だ。

ようやく、自分の人生を自分で設計できるスタートラインに立った。

描くことは変わらない。
ただ、描き方を変える。
それだけのことだ。

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