2006年4月。20歳。
専門学校を卒業した僕は、憧れのアニメ業界へ飛び込んだ。
場所は老舗、タツノコプロ。
ここから始まる2年間は、僕の人生で間違いなく「一番キツくて、一番濃い地獄」だった。
これは、今の「ふぇにょん」が作られるまでの、泥臭い修行の記録だ。
研修という名の放置プレイ
1月から始まった3ヶ月の研修期間。
「プロとして使えなければ即クビ」と脅され、始まったのは線の練習(トレス)。
「この会社、大丈夫か…?」
不安しかなかったけど、ここで折れたら終わり。
意味があるのかも分からない作業を、毎日必死に繰り返した。
一ヶ月後、ようやく師匠(動画検査)が決まった。
第一印象は最悪だったけど、実は夜中にメモを残してくれる優しい人だった。
「専門学校の2年より、現場の3ヶ月」。
この言葉は真実だ。学校はコネ作り、現場こそが学び舎だった。
月収4万円のリアル
研修中は無給。交通費もなし。
一人暮らしなら即死レベルのハードモードだ。
母親の「あと2年は面倒見てやる」という言葉に救われたが、それでも足りない。
深夜と早朝、スタジオに行く前後にコンビニバイトを入れた。
【当時の極限スケジュール】
早朝:コンビニバイト
昼〜夜:スタジオで修行
深夜:コンビニバイト
※廃棄弁当を先輩に差し入れして喜ばれる日々
「接客なんて無理」と思っていたけど、やってみれば何とかなる。
「まずは挑戦してみる」というマインドは、この極限生活で身についた。
プロ(奴隷)としてのスタート
いよいよ動画マンとしてデビュー。
単価は1枚150円〜250円。
線が多くても少なくても値段は一緒。しんちゃんもガンダムも同じ値段だ。
「線が汚いね」
先輩によく言われた。僕は原画向き(動きを作るのが好き)で、動画(線を整える)は苦手だった。
それでも、師匠がそれを見抜いてくれていたのが救いだった。
地獄の第二章:悪夢の上司
ある日、会社の体制が変わり、師匠が辞めてしまった。
新しく来た動画検査(上司)とは、絶望的に相性が悪かった。
ストレスで20歳にして白髪が増えた。
理不尽な権力、見本も見せずにダメ出しする怠慢。
「絶対にこういう人間にはならない」と心に誓った。
そして、原画マンへ
そんなどん底でも、腐らずに描き続けた。
同期が次々と辞めていく中、気づけば僕だけが残っていた。
入社から1年半後、ついに試験に合格し「原画マン」へ昇格。
単価は1カット数千円に跳ね上がる。
ここからようやく、アニメーターとしての本当の楽しさが始まった。
『ヤッターマン』のリメイクや『鴉 -KARAS-』などの作品に参加。
凄い先輩たちの原画を生で見て、線の緊張感と構図の力を学んだ。
地獄が教えてくれたこと
給料は安いし、人間関係は最悪だったし、身体もボロボロになった。
でも、タツノコでの2年間がなければ、今の僕はいない。
来る日も来る日も線を引き続けたおかげで、どんな絵柄でも描ける基礎ができた。
「仕事をしない人間」「理不尽な人間」の末路を見たおかげで、まともな社会人になれた。
あの地獄に比べれば、今のフリーランスの苦労なんて屁でもない。
このあと、僕は外資系企業「ANKAMA」へと転職することになる。
地獄の底から這い上がったアニメーターの逆襲は、ここから始まるのだ。
ふぇにょん
