前回、「文句言われる負債」について書いた。誰かに文句を言われるポジションに立ち続けることのコストと、それを静かに消していくという戦略について。
今回は、その続きの話をしたい。
文句を言われる負債を消す以前に、そもそも「作った本人が存在ごと無視される」という、もっと根深い構造の話だ。
自分の作品のイベントを、Xのおすすめで知る原作者
先日、あるポストがタイムラインに流れてきた。
自分の作品のPOP UP SHOPが開催されることを、原作者本人がXのおすすめ欄で初めて知った、という話だ。
これを読んで、笑えるだろうか。
僕は笑えなかった。
作品を生み出した人間が、その作品を使ったイベントの存在すら知らされない。「何から何まで初見だよ俺?」——この一文に、業界の構造的な歪みが凝縮されている。
キャラクターデザイナーが、自分のキャラを描かせてもらえない
同じ日、もう一つのポストが目に入った。
あるアニメ作品のキャラクターデザインを手がけた人物が、その作品の新規ビジュアルを自分に描かせてもらえなかったと投稿していた。「知らない所で誰かに恨まれているんだろうな」と。
キャラクターを生み出した本人が、そのキャラクターの絵を描く機会を与えられない。これは、どう考えてもおかしい。
でも、業界ではおかしくない。「権利」は別の場所にあるからだ。
作った人よりも、持っている人が強い
前回の記事で、「自分では何も作らないが、権利だけを持っている人間」の話をした。まさにこれがその実例だ。
原作者がいる。キャラクターデザイナーがいる。その人たちが作品を生み出した。でも、作品の「権利」は会社にある。会社は、イベントを企画し、グッズを作り、ビジュアルを発注する。そのとき、作った本人に声がかからないことがある。いや、かからないことの方が多いかもしれない。
なぜか。
理由はいくつもある。コストの問題、スケジュールの問題、社内の力学。でも根本にあるのは、「作った人」よりも「持っている人」の方が、この業界では構造的に強いということだ。
8.5万いいねがついても、何も変わらない
冒頭のポストには、8.5万を超えるいいねがついた。引用リツイートは1,800件以上。リツイートは8,800件を超えた。
つまり、何万人もの人が「これはおかしい」と思ったということだ。
でも、何か変わるだろうか。
変わらないだろう。
これは悲観でも諦めでもなく、構造の話だ。いいねの数がどれだけ増えても、権利の所在は変わらない。契約書は書き換わらない。次のプロジェクトで同じことが繰り返される。当事者たちはそれを知っているから、「笑っちゃった」「ヤレヤレ」で流すしかない。
声を上げても届かない。届いても変わらない。変わらないと分かっているから、声を上げること自体がコストになる。これが、クリエイターが感じている無力感の正体だ。
怒りではなく、諦めでもなく
僕自身も、この業界で長くやってきた中で同じような経験がある。具体的には書けないけれど、「作った本人」の側にいる人間として、この構造の理不尽さは身体で分かっている。
だから前回の記事で書いたように、僕は「文句言われる負債」を消す方向に動いてきた。構造を変えられないなら、構造の外に出る。権利だけ持っている人間が間に立つ工程から、静かに距離を取る。
でも今回のポストたちを見て、改めて思う。
この構造の中にまだいる人たちがいるということ。そして、その人たちの多くは、僕のように「外に出る」という選択肢を持っていないかもしれないということ。
原作者やキャラクターデザイナーが「笑っちゃった」と書くとき、その裏にあるのは怒りではない。諦めでもない。それは、もっと静かで、もっと深い、無力感だ。自分が生み出したものが自分の手を離れていく感覚。それをどうすることもできないという感覚。
構造は変えられないが、自分の立ち位置は変えられる
業界全体の構造を変えることは、おそらく一人の力ではできない。権利ビジネスの仕組みは、何十年もかけて出来上がったものだ。そこに正面から挑んでも、消耗するだけだ。
でも、自分の立ち位置は変えられる。
信頼で任せてもらえる関係を築く。的外れな監修が入らない構造を作る。自分の判断で動けるポジションを、少しずつ、確実に。
それは、業界への反抗ではない。自分の仕事を守るための、設計だ。
声を上げても変わらないなら、声を上げなくても済む場所に移動する。それが、前回の記事で書いた「究極の個人」への道だと、僕は思っている。
それでも、記録は残す
最後に一つだけ。
声を上げても変わらないかもしれない。でも、記録を残すことには意味がある。
何万人もの人が目撃し「これはおかしい」と思った人がいた。その事実は、いいねの数として、引用の数として、確かに残っている。
今日は変わらなくても、記録が積み重なれば、いつか構造そのものが問い直される日が来るかもしれない。
だから僕もこうして、ブログに書いている。守秘義務の範囲で、敵を作らない形で、でも確実に。これは僕なりの、静かな記録だ。
