ありがたいことに、このブログを仕事関係の方々も読んでくださっているらしい。
だったら今日は、いつもお世話になっている「あなた」に向けて書こうと思う。
感謝と、本音と、少しだけ覚悟を込めて。
まず、ありがとうの話から
僕は今、ドラゴンクエストを始めとした、日本を代表するタイトルの公式イラストを描かせてもらっている。
これがどれだけ恵まれたことか、誰より自分がわかっているつもりだ。
子どもの頃に夢中になった作品を、大人になって自分の手で描ける。
こんな人生、普通はない。
それを可能にしてくれたのは、僕の腕だけじゃない。
「こいつに任せよう」と判断してくれた一人ひとりの担当者がいたからだ。
SNSで僕を見つけて声をかけてくれた人。社内で企画を通してくれた人。修正の嵐の中で一緒に粘ってくれた人。
その一人ひとりに、心から感謝している。
社交辞令ではなく、本心だ。
トップの最期を、見てしまった
一昨年、僕がこの業界で一番尊敬していた人が亡くなった。
この業界にいる人なら、誰のことかわかると思う。
僕はその人の画風を継承する立場として、長年その仕事を間近で見てきた。
だからこそ知っている。
あの方がどれだけ膨大な仕事を抱えていたか。
どれだけ多くの企業が、たった一人の天才に依存していたか。
キャラクターデザイン、カードイラスト、ゲーム監修、新規案件——。
次から次へと、途切れることなく。
「あの方にお願いすればなんとかなる」
業界全体が、そういう空気の中で回っていた。
あの方が本当に好きな人生を歩めたのかどうか、僕にはわからない。
好きなものだけを描いて、好きな時間を過ごして、好きなだけ趣味に没頭する——
そういう生活を存分に送れたかと聞かれたら、たぶん答えはノーだと思う。
「働きすぎ」で命を縮めたとまでは言わない。
でも、企業に求められるまま仕事をし続ける構造が、
あの方の人生から何かを奪っていなかったか——そう考えずにはいられない。
そして没後の扱いを見て、さらに思い知った。
あれだけの功績を残した人の名前が、どう使われ、どう消費されていくか。
生きている間は「お願いします」と頭を下げていた人間たちが、
いなくなった途端に何をするか。
詳しくは書かない。
でも、見ていて気持ちのいいものではなかった。
僕は、同じ終わり方をしない
あの方は、この業界の頂点にいた。
僕なんかとは比べものにならない存在だ。
それは重々わかっている。
でも、構造は同じだ。
「代わりがいない個人」に企業が依存する。
その個人が潰れたら、組織は困る——でも、潰れるまでは使い続ける。
潰れた後は、別の誰かを探すか、残されたものを消費するだけ。
そのサイクルの中で、個人の人生は誰が守るのか。
答えは簡単だ。誰も守らない。
だから、自分で守るしかない。
僕は同じ轍を踏まないと決めた。
10年一緒に仕事して、顔も知らない人がいる
トップの最期を見て、自分の仕事を改めて見つめ直した。
そしたら、ずっと見て見ぬふりをしてきたことに気づいた。
10年近く一緒に仕事をしているのに、一度も顔を合わせたことがない取引先がいる。
メール。指示書。修正。納品。請求。入金。
その繰り返しだけで10年が過ぎた。
仕事としては成立している。プロとしてのやり取りに問題はない。
でも正直に書く。
顔を知っている相手の仕事と、そうでない仕事では、僕の中の熱量が違う。
あなたの顔を知っている。声を聞いたことがある。一度でも同じ空間にいたことがある。
——それだけで、一枚の絵に込める気持ちが変わる。
「あの人が喜んでくれるかな」と思いながら描く一枚と、
「指示通りに仕上げました」の一枚。
見た目は同じでも、中に宿っているものが違う。
あの方だって、本当に愛のある関係の中で描いた絵と、
ビジネスの義務で描いた絵があったはずだ。
僕は、後者だけが積み上がっていく人生にしたくない。
ありがたいことに、最近は少し状況が変わってきた。
先方から「一度オンラインでお話しさせてください」と言っていただけることが増えたのだ。
立場が変わったのか、僕の発信が届いたのか、理由はわからない。
でも、顔を合わせてから始まる仕事は、やはり温度が違う。
「この人のために描きたい」と思える案件が、確実に増えている。
逆に言えば、その一歩がないまま10年が過ぎてしまった関係もあるということだ。
同じ時間を過ごしてきたのに、この差は何だろう、と思う。
ちなみに、このブログやSNSで僕が顔を出しているのにも理由がある。
取引先の方に、安心してほしいからだ。
「顔を見せてくれ」と言うなら、まず自分から見せるのが筋だと思っている。
僕はこういう人間です、と。
画面の向こうにいるのはただの「イラストレーター」じゃなく、顔のある一人の人間ですよ、と。
もしこれを読んで「自分のことかもしれない」と思ったなら、それはチャンスだ。
今度、画面越しでいいから顔を見せてほしい。
それだけで、次に描く一枚が変わるから。
愛があるから、正直に書く
ここからは、はっきり書く。
僕は今年40歳になる。
経済的に「仕事を選ばないと食えない」というフェーズはとっくに終わっている。
今僕が仕事を受けているのは、必要だからではなく、そうしたいからだ。
この意味が伝わるだろうか。
僕には「断る自由」がある。
そしてあの方の最期を見て、その自由を使わなければ同じことになると悟った。
「顔が見える相手」とだけ仕事をする。
リモートでもいい。でも人間として向き合える関係であること。
大量に描く「作業者」から、品質を守る「監修者」へシフトする。
あの方と同じように「描いて描いて描き続ける」構造の中にいたら、同じ結末が待っている。
全体の品質を俯瞰で担保する立場に移ることが、お互いのためになる。
信頼してくれている相手への全力は、一切変わらない。
顔を合わせ、リスペクトし合える関係の中で、最高の仕事をする。それだけだ。
企業の皆さんに、一つだけ問いたい
フリーランスの人生に、組織は責任を持てない。
それはわかっている。仕組み上、仕方のない部分もある。
でも、だからこそ考えてほしい。
あなたの会社は、外部の個人を「人間」として扱えているだろうか。
便利な道具としてではなく。
替えのきくパーツとしてではなく。
顔があり、体があり、寿命がある一人の人間として。
あの方は、あまりにも大きな存在だった。
だからこそ、誰も「もう休んでください」と言えなかったのかもしれない。
でもその結果が、あの最期だ。
僕はあの方ほどの存在じゃない。
だけど同じ構造の中にいる。
だから自分で言う。
僕は、求められるまま描き続けて命を削る道は選ばない。
「やりたい」と思える仕事だけを、「やりたい」と思える人と、全力でやる。
それが僕の愛の示し方だ。
これを読んでいるあなたへ
もしあなたが僕の取引先の担当者なら、
この記事を「面倒くさいフリーランスの愚痴」だとは思わないでほしい。
これはラブレターだ。
一緒にいい仕事がしたい。
あなたが社内で板挟みになっていることも知っている。
予算の壁、スケジュールの壁、上の意向。
その中で調整してくれていることへの敬意は、ちゃんとある。
ただ、僕も人間だ。
あなたの顔が見えて、あなたの想いが伝わって、はじめて本気のエンジンがかかる。
今度、30分でいいからオンラインで話そう。
案件の話じゃなくていい。
「どんな作品を作りたいか」——その話がしたい。
それが僕たちの仕事を、もう一段上に持っていく鍵だと思うから。
僕の人生は有限だ。
トップの最期を見て、その有限さが骨の髄まで沁みた。
健康寿命が尽きるまでに、やりたいことを全部やり切ると決めている。
その限られた時間を、あなたと過ごす仕事に使いたいと思えるかどうか。
僕にとって、それが全ての判断基準になった。
顔の見える相手と、愛のある仕事を。
これが僕のこれからのスタンスだ。
——読んでくれて、ありがとう。
次の打ち合わせで、あなたの顔が見られることを楽しみにしている。
