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とんでもない仕事

2026 3/29
目次

絵描きはとんでもない仕事

「絵を描く仕事っていいよね、好きなことして、座ってるだけでしょ?」

これ、イラストレーターやってると一生言われ続ける呪いの言葉ランキング堂々の第1位である。

たしかに、傍から見れば椅子に座って、ペンを握って、モニターを見つめているだけ。肉体労働でもなければ、炎天下で汗を流すわけでもない。オフィスに通勤する必要すらない。冷暖房完備の自宅で、好きな音楽を流しながら、好きな時間に好きなだけ描いていればいい。

……って、本気で思ってる人、ちょっとそこに座ってもらっていいですか。

私はフリーランスのイラストレーターとして13年以上活動してきた。誰もが知っているようなタイトルの公式イラストも手がけてきた。華やかに聞こえるかもしれないが、その裏側は「全身ボロボロ」の一言に尽きる。

この記事は、「絵を描く仕事」の知られざるリアルを、自分自身の身体と精神を犠牲にしてきた男が語る、ちょっとした告白文である。

目:最初に悲鳴を上げるのは、いつもコイツ

イラストレーターの武器は「目」だ。そして最初に壊れるのも「目」だ。皮肉なもんである。

液晶タブレットの画面を至近距離で、1日10時間以上見つめ続ける生活を何年もやっていると、目がどうなるか。答えは簡単で、壊れる。

ドライアイは当たり前。眼精疲労から来る頭痛は日常茶飯事。ピントが合わなくなって、遠くのものがぼやける。夜になるとモニターの光が目に刺さるようになる。「ブルーライトカットメガネ? そんなもので防げるなら苦労しない」というのが正直な感想だ。

しかも厄介なのが、目の疲れは自覚しにくいということ。「なんか今日は線がブレるな」「色の判断が鈍いな」と思ったときには、すでに目は限界を超えている。イラストレーターにとって色彩感覚が鈍るのは、料理人が味覚を失うのと同じだ。致命傷である。

肩・首:もはや岩

イラストレーターの肩と首を触ったことがある人なら知っていると思うが、あれはもう人体の一部というより鉱物である。

前傾姿勢でペンを握り続ける。肩が上がる。首が前に出る。この姿勢を1日何時間も、何年も続けるとどうなるか。肩甲骨の間がコンクリートみたいに固まって、首を回すとゴリゴリ音がする人間が完成する。

整体に行くと「え、何の仕事してるんですか?」と毎回聞かれる。「絵を描いてます」と答えると「え?」という顔をされる。そりゃそうだ。この凝り方は普通、工事現場で毎日コンクリートを運んでる人のそれだからだ。

色々試した。コラントッテの磁気ネックレス、その他ありとあらゆる肩こりグッズ。挙げ句の果てには、全身の下着をりらいぶに変えた。上から下まで全部だ。もはや身体をグッズで包囲する作戦である。ここまでやれば効くだろうと思った。どれも最初は「お、効いてるかも」と思う。でも1週間もすれば元通りだ。結局、毎日10時間以上同じ姿勢でペンを握り続けるダメージが大きすぎて、グッズ程度では焼け石に水なのだ。全身をりらいぶで固めたところで、中身が壊れていく速度には追いつけない。蛇口を全開にしたまま床を拭いているようなものである。まず蛇口を閉めろ、という話なのだが、蛇口を閉めたら仕事が止まる。だから拭き続けるしかない。

ストレートネックなんて当然のようになる。ひどくなると腕にしびれが出る。「絵を描きすぎて腕がしびれる」とか、病院で言ったら笑われそうだが、本当に笑えない。

腕・手首・指:商売道具が先に壊れる

腱鞘炎。この単語だけでイラストレーターの8割がビクッとすると思う。

ペンを握って細かい線を何千本と引き続ける。手首をひねり、指先に力を込め、ミリ単位のコントロールを何時間も維持する。これ、スポーツで言えば同じフォームで同じ動作を延々と繰り返しているのと同じだ。野球のピッチャーが毎日200球投げたら壊れるだろう。イラストレーターは毎日何千ストロークも描いている。壊れないわけがない。

手首にサポーターを巻きながら描いているイラストレーターは少なくない。「それもう労災でしょ」と言いたくなるが、フリーランスに労災なんてものは存在しない。壊れたら終わり。代わりはいない。休めば収入がゼロになる。この恐怖と隣り合わせで描いているのだ。

腰:座る=腰に悪い、という残酷な事実

「座り仕事は楽でいいね」と言う人に伝えたい。座ること自体が、人体にとってはかなりの負荷なのだ。

人間の身体は本来、立って歩くようにデザインされている。座るという姿勢は、腰椎に立っているときの約1.4倍の圧力をかける。前傾姿勢ならさらに増える。つまり、イラストレーターは毎日10時間以上、腰に過大な負荷をかけ続けているわけだ。

高級なオフィスチェアを買えば解決するかと言えば、そう簡単でもない。どんなにいい椅子でも、同じ姿勢で何時間も座り続ければ腰はやられる。椅子の問題じゃなく、「座り続ける」という行為そのものが問題なのだ。

腰痛持ちのイラストレーターは本当に多い。ぎっくり腰をやって納期に間に合わなかった、なんて話も珍しくない。「腰が爆発して納品できません」というメール、取引先はどう思うんだろう。

足:存在を忘れられた部位

イラストレーターの足は、一日中ほぼ使われない。歩くのはトイレとキッチンの往復くらいだ。1日の歩数が500歩とか、普通にある。

座りっぱなしで血流が悪くなり、足がむくむ。冷える。筋力が落ちる。ふくらはぎの筋肉は「第二の心臓」と呼ばれるくらい血液循環に重要なのだが、使わなければ当然ポンプ機能が落ちる。

エコノミークラス症候群のリスクが高い職業、と言われて飛行機のパイロットを想像する人が多いだろうが、実は在宅イラストレーターもかなり上位に入る。飛行機は数時間で着くが、イラストレーターの「フライト」は毎日続くのだ。

これは脅しではなく実体験として書くが、私は実際に静脈瘤になった。足の血管がボコボコと浮き出てくるあれだ。魔人ベジータみたいでカッコいい〜なんて呑気なことを思っていたが、実際は座りっぱなしで血流が悪い状態を何年も続けた結果、血管の弁が壊れて血液が逆流するようになる。見た目も悪いし、だるさや痛みも出る。「絵を描いてたら足の血管が壊れました」——言葉にすると意味がわからないが、本当の話だ。

運動不足:動かないのではない、動けないのだ

「運動すればいいじゃん」と簡単に言う人がいるが、それがどれだけ難しいか。

まず、締め切りがある。常に締め切りがある。しかも1つじゃない。複数の案件が同時に走っていて、それぞれに納期がある。「今日は運動する日にしよう」と決めても、朝起きたらメールで追加のリテイク指示が来ている。「運動? そんなもの後回しだ」となる。

仮に時間があったとしても、何時間もペンを握り続けた後の身体は、運動できる状態にない。肩はガチガチ、腰は痛い、目はしょぼしょぼ。ジムに行く元気があるなら、その分描きたい、いや描かなきゃいけない。

結果、「今日も一歩も外に出なかった」という日が平気で何日も続く。季節の変わり目に気づくのは、窓の外の景色ではなくSNSのタイムラインだったりする。これはもう、ちょっとした監禁状態である。自分で自分を監禁しているのだから、タチが悪い。

暴飲暴食:ストレスの行き先は胃袋

イラストレーターにとって最大のストレスは何か。描けないことだ。

頭の中にはイメージがある。こういう構図で、こういうポーズで、こういう表情で。でも手がそれを再現してくれない。何度描いても違う。消しては描き、描いては消す。1時間かけて描いた顔がどうしても気に入らなくて全消しする瞬間の虚無感、やったことがある人にしかわからないと思う。

で、そのストレスの行き先がどこになるかというと、食だ。

描けないイライラをポテチで紛らわす。深夜の作業のお供にカップ麺。「頑張った自分へのご褒美」と称してコンビニスイーツを3つ買う。気づけば机の上はお菓子の空袋とペットボトルの山。これが日常になる。

しかもこれ、ただの暴飲暴食では終わらない。もっとタチの悪い負のループが回り始める。

描けない → イライラする → 糖質が欲しくなる → 菓子パンやお菓子をドカ食いする → 血糖値が急上昇する → 猛烈に眠くなる → 集中力が消え去る → 描けなくなる → イライラする → また糖質を摂る。

無限に回る地獄のメリーゴーラウンドだ。しかも乗っている本人は、自分が回っていることに気づいていない。「なんか今日やたら眠いな」「全然集中できないな」と思っているが、その原因が30分前に食べたメロンパンだとは夢にも思っていない。糖質でイライラを鎮めているつもりが、糖質がイライラを生産しているのだ。マッチポンプもいいところである。

しかもタチが悪いのは、描いている間は「作業中だから食事はちゃんと取らなくていいや」と思いがちなこと。昼食を食べ忘れて、夜中にドカ食いする。栄養バランスなんて概念は遥か彼方に消え去っている。

運動しない+暴飲暴食=結果は言わなくてもわかるだろう。体重は増え、体型は崩れ、健康診断の数値は見てはいけない領域に突入する。「絵を描いてるだけなのになぜ太るのか」という、哲学的な問いが生まれる。

そして本当に残酷なのは、ここからだ。食べれば食べるほど、身体は醜くなっていく。鏡を見るたびに自分が嫌になる。こんな姿で外に出たくない。人に会いたくない。だから部屋にこもる。部屋にこもるから、また描く。描いてイライラして、また食べる。また醜くなる。また出たくなくなる。

暴飲暴食が体型を壊し、壊れた体型が外出を奪い、外出を失った人間はさらに孤独になる。孤独がストレスを生み、ストレスがまた食に向かう。一つ一つは小さな選択のはずなのに、気づけば何重にも絡まった糸のように、全部が全部を悪化させている。この負のスパイラルに名前をつけるなら、「イラストレーター自壊サイクル」とでも呼ぶしかない。

風呂:10年間、湯船に浸かれなかった

信じられないかもしれないが、私は約10年間、まともに湯船に浸かったことがなかった。ずっとシャワーだけで済ませていた。

理由は単純だ。湯船に浸かると、連絡が来るからだ。

「さっき送った修正、今日中にお願いできますか?」「先方から追加指示が来ました」「明日の朝イチで確認したいので今夜中に」——まるで見てたかのように、湯船に浸かった瞬間を狙い撃ちしてくる。いや、見てないのはわかっている。わかっているが、あまりにも毎回タイミングが完璧すぎて、監視カメラを疑うレベルだった。

メッセージに気づいた瞬間、リラックスどころではなくなる。慌てて湯船から上がり、ろくに身体も拭かないまま机の前に座る。髪から水が滴っている。パンツも履いていない。でもペンは握っている。この状態でリテイク対応をしている自分を俯瞰で見たら、どう見ても正気の沙汰ではない。

これが1回2回なら笑い話だ。でも10年続くと、もう湯船に浸かること自体が怖くなる。「浸かったら来る」という条件反射ができてしまう。パブロフの犬ならぬ、パブロフのイラストレーターだ。シャワーなら5分で済む。5分なら連絡が来ても被害は最小限だ。こうして「湯船に浸からない」が合理的な判断として定着する。

私自身はさすがにそこまではいかなかったが、知り合いのイラストレーターには「どうせ誰にも会わないから」と3日間風呂に入らないのが普通、という人もいた。3日だ。笑い話に聞こえるかもしれないが、本人は大真面目である。人に会わない。外に出ない。誰にも見られない。だったら風呂に入る理由がない。その論理は、悲しいことに完璧に筋が通っている。

湯船に浸かってのんびりする、という人間として当たり前の行為すら許されない。それどころか、風呂そのものに入らなくなる人間すら生まれる。これが「座ってるだけの仕事」の現実だ。

引きこもり:人間関係の砂漠化

フリーランスのイラストレーターの1日を想像してほしい。

朝起きる。パソコンの前に座る。描く。昼になる。何か食べる。描く。夜になる。何か食べる。描く。寝る。

この間、人と会話した回数:0回。

取引先とのやり取りはメールかSlack。打ち合わせがあってもZoom。買い物はAmazon。食事はUber Eats。1週間で声を出したのが「Alexa、電気消して」だけだった、みたいなことが普通に起きる。

人間は社会的な動物だ、とかそういう話を持ち出すまでもなく、これは精神的にかなりキツい。最初のうちは「一人が楽だ」「人間関係のストレスがなくて最高」と思うのだが、それが1年、2年、5年と続くと話が変わってくる。

人との交流がSNSとネットだけになる。Twitterで「いいね」がつくと嬉しい。リプライが来ると会話した気になる。でもそれは会話ではない。画面の向こうにいる人の顔も声も知らない。温度がない。

気づけば、リアルで人と会話するのが怖くなっている。何を話していいかわからない。話題がない。「最近どう?」と聞かれて「……描いてます」としか言えない。描いてます。それしかないのだ、人生に。

当時の私は自分のことを「かごの中の鳥」だと自虐していた。自分の部屋という小さなかごの中で、ただ絵を描き続ける。外の世界は見えているのに、出られない。出る理由もない。出たところで何をすればいいかわからない。かごの扉は開いているのに、飛び方を忘れた鳥。なかなかの自画像だと思う。

モテない:致命的な問題

さて、ここまで読んで気づいた人もいるだろう。この職業、モテる要素が1ミリもない。

まず人前に出ない。スポーツ選手なら試合で活躍する姿を見てもらえる。俳優なら画面越しに魅力を発信できる。ミュージシャンならライブがある。イラストレーターは? 自宅でモニターに向かっている。以上。

「でも、作品を通じてファンがつくでしょ?」と思うかもしれない。つく。つくこともある。だが、公式イラストの仕事ではクレジット(名前)が載らないことが多い。つまり、どれだけ凄い仕事をしても、誰が描いたか世間にはわからない。「あのイラスト描いたの、私なんですよ」とか言っても「へー」で終わる。名前のない仕事に、ファンはつかない。

さらに追い打ちをかけるのが、前述の身体的・精神的な問題だ。運動不足で体型が崩れ、引きこもりでコミュ力が退化し、暴飲暴食で肌が荒れる。出会いの場に行く時間も元気もない。合コンに誘われたとしても、「明日締め切りなので……」と断り続けるうちに誘われなくなる。

しかも、世間の「イラストレーター」のイメージは「趣味の延長」だ。「絵を描いて生活してるの? すごいね」の「すごいね」は、「よくそれで食べていけるね」という意味だったりする。収入が不安定な職業だと思われているから、パートナー候補としてのスペックが最初から低い。

スポーツ選手が「アスリートです」と言えばカッコいい。医者が「医者です」と言えば安心感がある。イラストレーターが「イラストレーターです」と言うと、「へえ……(で、食えてるの?)」という空気になる。この格差よ。

お金:基本、搾取される側の人間

「好きなことを仕事にできていいね」の裏側に、もう一つの残酷な現実がある。お金だ。

イラストレーターは、構造的に搾取される側の職業だ。

まず、発注側と受注側の力関係が圧倒的に非対称である。「この仕事をお願いしたい」と言われたら、基本的にNOとは言いにくい。断ったら次がない。次がなければ収入がなくなる。だから多少安くても、多少条件が悪くても、受ける。これが搾取の入り口だ。

中間業者が入ればさらに削られる。クライアントが10万円払っていても、間に2社入れば手元に届くのは3〜4万円。残りの6〜7万円はどこに消えたのか。「ディレクション費」「管理費」「マージン」。自分が10時間かけて描いた絵の対価の大半が、メールを転送しただけの人間に持っていかれる。これを搾取と呼ばずして何と呼ぶのか。

しかも、リテイク(修正)は基本無料だ。「もうちょっとこうしてください」「やっぱりこっちの方向で」「上に見せたらNGが出まして」――何回描き直しても追加料金は発生しない。10回リテイクしたら、時給換算で最低賃金を下回ることもザラにある。コンビニのバイトの方が稼げるのだ。しかもコンビニのバイトは腱鞘炎にならない。

そしてここが致命的なのだが、イラストレーターには「資格」がない。医者には医師免許がある。弁護士には司法試験がある。建築士にも、税理士にも、美容師にすら国家資格がある。イラストレーターには? 何もない。

資格がないということは、参入障壁がないということだ。誰でも「イラストレーターです」と名乗れる。美大を出ていなくても、専門学校に行っていなくても、昨日まで会社員だった人が今日から名乗れる。そうなると当然、供給過多になる。供給過多になれば単価は下がる。「もっと安くやってくれる人がいるので」と言われたら、こちらはもう打つ手がない。

頭がいいからなれる職業でもない。努力すれば必ず報われる職業でもない。「絵が上手い」という、極めて曖昧で主観的なスキルだけが唯一の武器で、その武器の価値は発注する側が決める。

つまりこの職業は、言い方を選ばなければ——絵を描くことでしか居場所がない者たちの墓場である。

他に行き場がないから、ここにいる。他にできることがないから、描いている。そう言うと暗く聞こえるが、実際のところ多くのイラストレーターの本音はこれに近いのではないかと思う。「好きだから描いている」のは事実だ。でも同時に、「これしかできないから描いている」のもまた事実なのだ。

好きなことしかできない人間が、好きなことで搾取される。この構造、冷静に見るとなかなかのディストピアだ。

精神面:孤独との終わりなき戦い

身体の話ばかりしてきたが、精神面のダメージも相当なものだ。

まず、評価が常に「絵」に紐づく。自分という人間ではなく、自分が描いた絵が評価の対象になる。いい絵を描けば褒められ、ダメなら否定される。しかもその評価は主観的だ。自分では最高の出来だと思った絵に「ここ直してください」と赤が入る。逆に、「微妙だな」と思って出した絵が一発OKになる。基準がわからない。

SNSを開けば、自分より上手い人の絵が無限に流れてくる。「いいね」の数で自分の価値が数値化される。1000いいねの絵と100いいねの自分の絵を見比べて凹む。わかってる、そんなもの比べても意味がないと。でも見てしまう。比べてしまう。

さらに追い打ちをかけるのが、ネットに蔓延する「絵描きは自我を出すな」「絵だけ描いてろ」という風潮だ。日常のこと、考えていること、仕事への思い——そういうものをSNSで発信すると「自我が強い」と叩かれる。「お前の意見なんか聞いてない。黙って絵だけ上げてろ」と。

つまり、世間が絵描きに求めているのは「人格のない絵の生産マシン」なのだ。感情を持つな。意見を持つな。主張するな。ただ黙って、求められた絵を、求められた品質で、求められた納期までに出せ。それ以外のお前には興味がない。

これ、冷静に考えるとかなり異常なことを言っている。人間に対して「お前は機能だけ提供しろ、人格は邪魔だ」と言っているのだ。でも絵描きの世界では、これがまかり通っている。名前も出ない、顔も出ない、人格も出すな。じゃあ一体、私たちは何なんだ。

そしてもう一つ。こういう話をすると必ず飛んでくる言葉がある。「承認欲求」だ。仕事への思いを語れば「承認欲求」。業界の問題を指摘すれば「承認欲求」。自分の作品を紹介しても「承認欲求」。何を言っても、何を発信しても、「それって承認欲求だよね」の一言で片づけられる。

黙って描いてたら「人格のない生産マシン」。口を開いたら「承認欲求」。どっちに転んでも叩かれる。完璧なダブルバインドだ。じゃあ絵描きはどうすればいいのか。答えは「何をしても叩かれる」だ。存在するだけで詰んでいる。

そして何より、この仕事は基本的に一人だ。チームで仕事をする場面もあるが、描く行為そのものは完全に孤独だ。うまくいかないときに愚痴を言う相手もいない。「今日全然描けなかった」という事実と、ただ一人で向き合う。

会社員なら、仕事がうまくいかなくても同僚と飲みに行って愚痴れる。イラストレーターは、仕事がうまくいかなくても一人で部屋にいる。一人で凹んで、一人で立ち直るしかない。

「とんでもない職業」に気づいたのは、身体が限界を迎えたとき

正直に言うと、若い頃はこれらの問題をあまり深刻に考えていなかった。20代の身体は、多少の無理を吸収してくれる。徹夜明けでもそこそこ動けるし、肩が凝っても寝れば治る。そういう万能感がある。

でも30代に入って、はっきりと変わった。

回復が遅くなった。肩の凝りが寝ても取れなくなった。目の疲れが翌日に持ち越されるようになった。腰に違和感を覚えるようになった。「体がボロボロ」という表現がメタファーではなくなった。文字通り、ボロボロになっていた。

ある日ふと鏡を見て思った。「このままだと、描けなくなる前に身体が壊れるぞ」と。

そしてこの恐怖は、決して大げさなものではない。漫画界を見ればわかる。冨樫義博先生は腰を壊した。日本を代表する漫画家であり、どれだけのお金と名声があっても、壊れた腰は元には戻らない。何年も休載を繰り返しているのは、怠けているからじゃない。描きたくても身体が許さないのだ。ある伝説的な漫画家は、長年の不摂生から身体を壊し、志半ばでこの世を去った。世界中にファンを持ち、歴史に名を刻んだ天才ですら、一度壊れた身体は元には戻せなかった。

どんなに金があっても。どんなに名声があっても。一度壊した身体は、買い戻せない。トップ中のトップですらそうなのだ。私のような人間が無事でいられるわけがない。

絵を描くことが好きで始めた仕事だ。この仕事をできるだけ長く続けたい。でも、身体が壊れたら描けない。壊れてからでは遅い。それに気づいたのが、自分にとっての「グレートリセット」だった。

変えたこと:全部、仕組みで解決する

気合いや根性でなんとかしよう、というのは最初からやめた。意志の力に頼ると、忙しくなった瞬間に全部崩壊する。だから、仕組みで解決することにした。

毎朝のランニングとダッシュ、筋トレ。これを「やる気があるときにやる」ではなく、朝起きたら自動的にやるルーティンにした。歯磨きと同じだ。「今日歯磨きするかどうか迷う」人はいないだろう。それと同じレベルまで運動を日常に組み込んだ。

最初は正直キツかった。でも、1ヶ月もすれば身体が変わってくる。肩の凝りが軽くなった。腰痛が減った。何より、朝の運動後に描き始めると、頭がクリアで集中力が違う。「運動すると仕事の効率が上がる」というのは、どこかの自己啓発本に書いてあるような話だが、実際にやってみると本当だった。

Ouraリングでの睡眠・コンディション管理。睡眠の質、心拍変動、体温変化を毎日数値で見る。「なんとなく調子が悪い」を「昨日の深い睡眠が少なかったから調子が悪い」に変換できる。原因がわかれば対策が打てる。感覚ではなくデータで自分を管理する。これがフリーランスには特に重要だ。上司が体調管理してくれるわけじゃないんだから。

食事の見直し。暴飲暴食をやめて、身体が本当に必要としているものを摂る。サプリメントも活用する。クレアチン、オメガ3、ビタミンD3+K2、マグネシウム。「サプリとか意味あるの?」と思う人もいるだろうが、身体のベースラインが整うと、明らかにパフォーマンスが変わる。

スタンディングで描く。静脈瘤になったことをきっかけに、基本的に立って描くスタイルに変えた。「立って絵なんか描けるの?」と思うだろう。私も最初はそう思った。でも意外とできる。慣れてしまえば、座っているときと変わらない精度で描ける。むしろ座りっぱなしの腰痛地獄から解放されたのは大きい。ただ——今度は足に負担がかかる。長時間立ちっぱなしで足裏が痛くなるし、疲労の種類が変わっただけとも言える。座れば腰と血管が壊れ、立てば足がやられる。イラストレーターの身体は、どっちに転んでも詰んでいるのだ。

そして何より、働き方そのものを変えた。体を壊してまでフル工程を請け負う必要はない。自分の強みに集中し、それ以外は手放す。描ける時間は有限だ。その有限な時間を、最も価値のある仕事に使う。「全部やります」から「ここだけやります」に変えただけで、身体への負担は劇的に減った。

それでも描く理由

ここまで散々ネガティブなことを書いてきた。「じゃあなんで辞めないの?」と思われるかもしれない。

答えはシンプルで、それでも描くことが好きだからだ。

白い画面に線を引いて、そこにキャラクターが生まれる瞬間。自分の手から生み出されたものが、誰かの手に届いて、誰かを楽しませる。その感覚は、何年やっても色褪せない。

ただし、好きだからこそ、長く続けるために身体を守らなきゃいけない。好きなことを壊れるまでやるのは美学じゃない。好きなことを、できるだけ長く、できるだけいいコンディションでやり続ける。そのための努力を惜しまない。それが、13年やって辿り着いた結論だ。

座ってるだけの仕事だと思ってた。とんでもなかった。でも、気づいたからこそ、変えられた。

もし今、同じように身体がボロボロになりながら描き続けている人がいたら、伝えたい。壊れてからでは遅い。仕組みで自分を守れ。身体が資本なのは、アスリートもイラストレーターも同じだ。

この職業は、とんでもなく大変だ。でも、とんでもなく面白い。だから、とんでもなく大事に、身体を使おう。

自分自身は、現実世界のたった一つのアバターなのだから。

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  • 人生は断捨離が全て。

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