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仕事と複利

2026 3/06
目次

仕事の複利——10年描き続けた先にあったもの

2026年3月。年度末のこの時期、複数の案件が同時進行していて、正直キャパシティの限界と戦っている。ありがたい話ではあるのだけど。

「あなたなしでは成り立たない」

先日、あるクライアントからこんな言葉をいただいた。
この案件のベースイラストは、藤崎様の力なしには成り立たない。
10年以上この業界でやってきて、こういう言葉をいただける機会が増えた。 いや、正確に言えば、昔からそう思ってくださっていたのかもしれない。でも、それを言葉にして伝えてくれるクライアントと、そうでないクライアントがいる。この差は、フリーランスのクリエイターにとって非常に大きい。 僕たちは基本的に一人で作業している。朝起きて、デスクに向かって、ペンタブを握って、納品して、また次の案件に取りかかる。会社員のように同僚がいるわけでもなく、上司が「よくやったな」と肩を叩いてくれるわけでもない。 だからこそ、クライアントからの一言が、次の一枚を描くエネルギーになる。

仕事は「複利」で積み上がる

投資の世界には「複利」という概念がある。利息が利息を生み、時間とともに加速度的に膨らんでいく仕組みだ。 仕事もまったく同じだと、最近つくづく思う。 10年前の僕は、目の前の1枚を必死に描くだけだった。「上手くなりたい」「認められたい」「仕事がほしい」。その一心で描いていた。 でも、その1枚1枚が、少しずつ利息を生んでいたのだ。 1枚目の信頼が、2枚目の依頼を生む。 2枚目の実績が、3枚目以降の単価交渉の土台になる。 100枚の積み重ねが、「この人じゃなきゃダメだ」という指名を生む。 これが仕事の複利だ。 そして複利の本質は、途中でやめたら元本ごと消えるということ。10年描き続けたから今がある。5年で辞めていたら、今の半分ではなく、ゼロだったかもしれない。

複利が効き始めると、景色が変わる

最初の数年は、複利の効果なんて実感できない。銀行の利息と同じで、最初は「ほんとに増えてるのか?」という感覚だ。 でも、ある時期を境に、明らかに景色が変わる瞬間がくる。 僕の場合、それは「声をかけてもらう立場」になったことで実感した。 昔は営業もした。ポートフォリオを送って、返事を待って、やっと1件もらえるかどうか。それが今は、同時に複数のクライアントから新規のご相談をいただくようになった。新規案件の打ち合わせに、先方から複数名が参加してくれる。「ぜひお願いしたい」と言っていただける。 これは僕が急に上手くなったわけじゃない。10年分の複利が、ようやく目に見える形になっただけだ。

複利の元本は「信頼」

投資の複利は元本が「お金」だけど、仕事の複利は元本が「信頼」だ。 納期を守る。クオリティを落とさない。レスポンスを早くする。言うべきことは言う。引き受けたら最後までやり切る。 こういう地味なことの積み重ねが、信頼という元本を太くしていく。元本が太くなれば、複利の効きも当然大きくなる。 逆に言えば、一度の信頼毀損で複利は吹き飛ぶ。投資で言えば「元本割れ」だ。長い時間をかけて積み上げたものが、一瞬で崩れる。だからこそ、信頼だけは絶対に手放してはいけない。

単価の話——複利が効くまでの我慢

これは同業者に向けて書く。 版権イラストの単価は、正直に言って高くない。「公式のお仕事をいただいている」というブランド価値と引き換えに、市場の相場よりも低い単価で大量に描くことが求められるケースは多い。 僕は10年以上やってきて、ようやく少しずつ単価交渉ができるようになった。「少しずつ」だ。10年やって「少しずつ」。これが版権イラスト業界のリアルだ。 でも、これも複利と同じだと思っている。 最初の5年は、ほとんど変わらない。でも、実績と信頼が一定ラインを超えると、交渉のテーブルにつける立場になる。そこからは、これまでの蓄積が一気にレバレッジとして効き始める。 だからこそ、若いイラストレーターには伝えたい。単価だけで仕事を選ぶな、でも単価を軽視するな。自分の価値を自分で認識して、言うべきことは言え。言わなければ、10年経っても変わらない。 僕自身、最近ようやく「言うべきことを言う」ことを覚えた。遅すぎたかもしれない。でも、いつからでも遅くはない。

ネットの声と、複利の非対称性

カードが公式から発表されるたびに、SNSにはいろんな声が上がる。「かっこいい!」「神イラスト!」という嬉しい反応もあれば、「ここがおかしい」という批判もある。 正直に言えば、後者の声が目に入ると、やっぱりしんどい。 でも、ここにも複利の考え方が使える。 批判する人は、複利がゼロだ。何も積み上げていないから、何も生まれない。一方で、描き続けている僕には、毎日複利が回っている。この非対称性は、時間が経つほど広がっていく。 だから気にしない——とは言い切れないけれど、少なくとも「自分の複利を回すことに集中しよう」とは思える。

変わったこと、変わらないこと

この10年で、キャリアは大きく変わった。公式アートブックに個人名義でクレジットされるという、フリーランスとしては異例の実績もいただいた。作品の生みの親と言える方々と直接お会いする機会もいただいた。SNSのフォロワーは国内外合わせて40万人を超えた。 でも、変わらないこともある。 毎朝のルーティンは同じだ。起きて、走って、筋トレして、シャワーを浴びて、デスクに向かう。一枚一枚、丁寧に描く。それだけは10年前から何も変わっていない。 この「変わらない部分」こそが、複利の元本を守る行為なんだと思う。派手な成果は複利の結果であって、地味なルーティンこそが複利の源泉だ。

描く理由が変わった

昔は自分のために描いていた。上手くなりたい、認められたい、仕事がほしい。 でも今は、少し違う。 僕の描いたカードを、お父さんやお母さんと一緒にスーパーで探している子どもがいる。世界中のファンが、SNSで新カードの情報を心待ちにしている。そして、僕にこの道を開いてくれた恩人たちがいる。 その人たちのために描いている。 これも複利の一つだと思う。描く理由が「自分のため」から「誰かのため」に変わったとき、仕事の質も、仕事への向き合い方も、もう一段上がった気がする。

これからの複利——「積む」から「使う」へ

キャリアも折り返し地点に差しかかったのかもしれない。 でも、停滞感はまったくない。体脂肪率は10%前後を維持している。毎朝走っている。数年前の自分より、今の自分の方が明らかにコンディションがいい。経済的にも、ありがたいことに不安はない。 じゃあこれから何がしたいか。 もっと表に出たい。 10年間、守秘義務の中で黙々と描き続けてきた。自分の名前を出せない仕事、自分の顔を見せない仕事。それはプロフェッショナルとしての矜持だったけれど、そろそろ「自分自身」を表現するフェーズに入りたいと思っている。 これまでの10年は「複利の元本を積む期間」だった。 これからは「複利の果実を使う期間」にする。 積み上げたもの——実績、スキル、経験、人脈、資産、健康、すべてを使って、もっと自由に、もっと自分らしく生きる。 公式案件は続ける。子どもたちのために、ファンのために、恩人たちのために。でも、それと同時に、自分のための場所もつくる。

最後に

年度末で忙しい。でも、充実している。 10年前の自分に言ってやりたい。 「お前が毎日描いた1枚1枚に、ちゃんと利息がついてるぞ。途中でやめるなよ」と。 そして今の自分に言い聞かせる。 「複利はまだ回っている。まだまだこれからだ」と。
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