Xのタイムラインが燃えていた。
イラストレーターの納期遅延問題。有名な絵師に依頼して、2ヶ月経ってもラフが来ない。その間ゲームを周回していた——という発注者側の告発が火種になり、「イラストレーターのだらしなさ」をめぐる議論が一気に広がった。
進捗報告ができない。連絡が取れなくなる。契約を子供の約束のように扱う。そういったエピソードが、発注者側から次々と噴き出した。同業者からも「業界全体がそうだというネガキャンはやめてほしい」という反論が出る一方で、「常識のない人はごく一部とは言い切れない」という声もあった。
どちらが正しいかはわからない。ただ、堰を切ったように怨嗟が溢れ出た事実は、この業界が長い間何かを飲み込んできたことの証拠だと思う。
古澤さんのこと
その炎上の渦中で、ある人物の名前が浮かんできた。
ドラゴンボールの版権イラストレーターとして活躍した古澤さん。「ふるじゅん」の名で知られ、カードやグッズに数えきれないほどの仕事絵を残した人だ。
あるコレクターがこう投稿していた。古澤さんが辞める前に「魂の入った絵を描けなくなってしまって……」と言っていた、と。
そして同じ人物がこうも書いていた。
「1990年代中盤にインターネットが現在のように普及していたら、古澤くんは版権イラストレーターを辞めていなかったんじゃないかな。世界中にこんなに『君の絵が好きだよ』と言ってくれる方達がいたんだよ」
善意の仮説だ。気持ちはよくわかる。
でも、僕はそうは思わない。
名前を出せた時代
古澤さんが「ふるじゅん」として知られていたのは、ネットがない時代だったからだ。
情報管理がゆるかった。誰が何を描いているか、業界の内外でなんとなく共有されていた。ファンとの距離も近く、名前と作品が自然に結びついていた。古澤さんの写真が今もネット上に残っているのは、あの時代の空気の名残だ。
だからこそ、古澤さんは「魂の入った絵が描けなくなった」と誰かに言えた。自分の名前で仕事をしていたから、自分の言葉で辞める理由を語れた。
それは、今の版権イラストレーターには許されていないことだ。
ネットが奪ったもの
インターネットが普及して、何が変わったか。
情報の拡散速度が上がった。一枚のスクリーンショットが世界中に広がる。SNSの投稿が訴訟の証拠になる。企業はリスク管理を徹底するようになった。
その結果、版権イラストレーターの守秘義務はかつてないほど厳しくなった。
「この絵は自分が描いた」と言えない。SNSで実績を公開できない。ポートフォリオにも載せられない。発注元の名前も、作品のタイトルも、関わっていること自体が秘密。
ネットがあれば古澤さんは救われた——その仮説は、現実とは逆の方向を向いている。ネットが普及したからこそ、版権イラストレーターはより深い匿名性の中に押し込められた。世界中のファンが「この絵が好きだ」と言ってくれていても、「それを描いたのは自分だ」と名乗ることができない。
ファンの声は確かに存在する。でも、その声が届く先に名前がない。
名前のない仕事を続けるということ
版権イラストレーターの仕事は、名前のない仕事だ。
どれだけ描いても、クレジットに名前は載らない。コレクターが大切にしているカードの裏に、描いた人間の署名はない。ファンが「この絵が好きだ」と語るとき、そこに作者の存在は含まれていない。
それでも描き続ける人間がいる。
ハングリー精神があるからじゃない。情熱が燃えているからでもない。承認欲求が満たされるからでもない。そもそも、承認される名前がないのだから。
タイムラインでは「満たされたら創作の切れ味が落ちる」「ハングリーじゃないと描けない」という声が飛び交っていた。それは一つの真実かもしれない。でも、版権イラストレーターにとっての「燃料」は、最初からそこにはない。名前を出せない以上、承認で走ることはできない。ハングリー精神で走ることもできない。だってゴールに自分の名前がないのだから。
じゃあ何で走るのか。
それは多分、人によって違う。規律で走る人もいる。生活の構造で走る人もいる。「この作品が好きだ」というシンプルな気持ちで走る人もいる。もしかしたら、もう惰性で走っている人もいるかもしれない。
でも、走り続けている。名前がなくても。
古澤さんは「魂の入った絵を描けなくなった」と言って止まった。あの時代だったから、そう言えた。今の版権イラストレーターは、そう言うことすら許されない。描けなくなっても、描けなくなったと言えない。ただ静かにいなくなるだけだ。
ネットがあれば救われたか。
僕は、この問いの立て方自体が、版権イラストレーターという仕事の本質を見誤っていると思う。この仕事は、救われるとか救われないとか、そういう物語の外側にある。名前のない場所で、名前のない仕事を、名前のないまま続けること。それ自体が、この仕事の全てだ。
それを選んだ人間だけが知っている景色がある。
その景色は、タイムラインには映らない。
